老人と火の海

17:40 大阪王将で夕食。1人。

 

知人は皆、餃子の王将大阪王将は味が違うと言う。僕にはよく分からない。よく分からないというと皆、良いカモを見つけたとばかりにその違いを話しだす。いつも記憶には残らない。

 

誘導されたカウンター席の、右手には老爺、左手には老婆がいた。2人ともジョッキのビールと料理を前にして、空間の一点を見つめている。

老人とビールはなんとなく釣り合わないように思う。たとえば老人と焼酎は合う。老人と煙草もそれなりに合う。だけどビールは合わない。

たぶん、どちらかというと、老人がジョッキぐらい重量感のあるものを持っていることがヘンに感じるんだと思う。ジョッキは片手で持つのだろうか、両手で持つのだろうか。横目に見てみたいと思ったけれど、僕が料理を注文して食べ終わるまで、ついにジョッキへ手を伸ばすことは無かった。

 

背後のテーブル席では、会社帰りらしきシャツ姿の男性3人が、話の風呂敷を広げたり畳んだりしていた。その中の1人は中華鍋でフランベするみたいな声量で話し続けていて、ずっとボヤ騒ぎを起こしていた。

声量の大きい人は苦手だ。他人同士の会話が苦手だから、それを僕の耳に叩きつけないでほしい。ここを詰めていくと、他人の人生を僕に関係させないでほしい、とかになる。

それはそれとして、だけど、声量の大きい人が持ちがちな他の特徴を、その苦手に含めるべきじゃない、とは思う。声量が大きいことと、関西弁を話すことと、そのテーブルにいない部下の悪いところを言うことと、恰幅のいい体育会系であることは全て別々の要素であって、これらを苦手に感じる理由も全て別々なのだ。それらを綯い交ぜにするべきじゃない。

 

だけど僕は急いで店を出た。

だから老人もジョッキへ手を伸ばさなかったのかもしれない。