あの人に悪い気がする

5:34 眠れずに朝を迎える。

 

卒論の発表練習を終えた。ひどく目眩がした。1週間後の本番に向けて調整を続ける。プロジェクトは始めどころも終わりどころも難しい。

ストロング缶を2缶買った。youtubeを観ながら1缶を飲み切ったあと、すっかり醒めていることに気付いた。もう1缶を開けて、だけど飲む気になれなくて、冷蔵庫へ仕舞った。

 

いつもより早く起きた日の夜なのに、眠れず朝を迎えた。布団は繭のように内側を暖めていた。暖房のタイマーはずっと前から切れっぱなしだった。

キリンジの『悪い習慣』を思い出す。「孤独を薄める酒が見つからない」「抜け出せないまま朝が来る」。残りの歌詞が思い出せなくて検索をする。そこに表示された、これまでさほど気に留めなかったフレーズが胸を抉る。肝臓を砕く。

 

なにか不安事があると、他の不安事に全く対処できない。総じて手につかない。それなのに、頭の中で一番膨らんだそれを、先延ばしにしたり押し込めようとしたりする。そういう自分へのやるせなさとか後ろめたさが、頭の別の部分で膨らんでいく。

気分に波がある。ひどく、ある。

その理由もなんとなく知っている。

 

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濡れたままの靴下を履き

さまよっているようだ

後ろめたさってやつはね

 

老人と火の海

17:40 大阪王将で夕食。1人。

 

知人は皆、餃子の王将大阪王将は味が違うと言う。僕にはよく分からない。よく分からないというと皆、良いカモを見つけたとばかりにその違いを話しだす。いつも記憶には残らない。

 

誘導されたカウンター席の、右手には老爺、左手には老婆がいた。2人ともジョッキのビールと料理を前にして、空間の一点を見つめている。

老人とビールはなんとなく釣り合わないように思う。たとえば老人と焼酎は合う。老人と煙草もそれなりに合う。だけどビールは合わない。

たぶん、どちらかというと、老人がジョッキぐらい重量感のあるものを持っていることがヘンに感じるんだと思う。ジョッキは片手で持つのだろうか、両手で持つのだろうか。横目に見てみたいと思ったけれど、僕が料理を注文して食べ終わるまで、ついにジョッキへ手を伸ばすことは無かった。

 

背後のテーブル席では、会社帰りらしきシャツ姿の男性3人が、話の風呂敷を広げたり畳んだりしていた。その中の1人は中華鍋でフランベするみたいな声量で話し続けていて、ずっとボヤ騒ぎを起こしていた。

声量の大きい人は苦手だ。他人同士の会話が苦手だから、それを僕の耳に叩きつけないでほしい。ここを詰めていくと、他人の人生を僕に関係させないでほしい、とかになる。

それはそれとして、だけど、声量の大きい人が持ちがちな他の特徴を、その苦手に含めるべきじゃない、とは思う。声量が大きいことと、関西弁を話すことと、そのテーブルにいない部下の悪いところを言うことと、恰幅のいい体育会系であることは全て別々の要素であって、これらを苦手に感じる理由も全て別々なのだ。それらを綯い交ぜにするべきじゃない。

 

だけど僕は急いで店を出た。

だから老人もジョッキへ手を伸ばさなかったのかもしれない。